前回の日本一時帰国中、2023年2月上旬に5泊で長崎へ旅行に行き、軍艦島上陸・周遊ツアーに参加し、軍艦島に上陸することができました!
世界文化遺産に登録されてから、人気の長崎観光スポットの一つです。
壮大な廃墟を目の前に、タイムスリップしたような気分になりました。この記事では、わたしの軍艦島ツアー体験をメモしました。
目次
軍艦島はどんな島?
まず、軍艦島ですが、正式名称は端島(はしま)、通称軍艦島は長崎港から南西の海上約18kmに浮かぶ、明治から昭和の時代に海底炭鉱によって栄えた島です。1870年(明治3年)に開抗、1974年(昭和49年)の閉山後は無人島になりますが、再び産業遺産の価値が見直されて見学のために上陸が可能になりました。
2015年(平成27年)には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。
軍艦島は小さな瀬と岩礁を6回にわたって埋め立て、約3倍の面積に拡張されましたが、総面積は約63ヘクタール程度しかありません。この島にピーク時には5000人を超える炭鉱従事者とその家族たちが暮らし、日本のエネルギーを100年以上支え続けました。
軍艦島という呼び名は、第一次世界大戦中、三菱長崎造船所で建造され、完成前だった戦艦土佐と姿が似ていると報道されたことによるそうです。船から見る軍艦島は、確かに軍艦のようです!
軍艦島ツアーの予約
軍艦島に上陸するにはツアー参加必須です(事前予約が必要)。
やまさ海運の「軍艦島上陸・周遊クルーズ」を事前予約
わたし達が参加したのは、やまさ海運の軍艦島上陸・周遊クルーズ(所要時間150分)。予約日に応じて早期割引が適用されるので、早めの予約がおすすめです。現地払いです。
ツアー参加当日に必要になる、軍艦島上陸承諾書を予約ページよりダウンロードできるので、事前にプリントして記入しておきました。
長崎港からは4つの会社が軍艦島ツアーを催行
長崎港からは以下の4つの会社が軍艦島ツアーを催行しています。乗船場、ルート、所要時間や料金なども会社によって異なるので比較し、やまさ海運と軍艦島コンシェルジェどちらにしようか迷い、やまさ海運にし、満足なツアーでした。
軍艦島ツアーを予約する前に知っておきたいこと
軍艦島への上陸率
風速5メートルを超えたり、波の高さが0.5メートルを超える場合、現場海域の視界距離が500メートル以下の場合など、軍艦島に上陸できないことがあります。上陸についての判断は運行当日の船長判断となります。
わたしたちが参加したツアーでは上陸できましたが、上陸できなくてもがっかりしないように心の準備はしていました。上陸できない場合、軍艦島周遊(または半周遊)に、最悪欠航になる場合もあります。
すごく気になりますよね、どのくらいの確率で上陸できるのか。わたしも気になって検索してみました。
やまさ海運のウェブサイトによると、天候基準をクリアする日数は年間100日と想定されています。同ページの過去1年の上陸率のグラフが参考になります。青が上陸率、ピンクが周遊への変更率。
7月から9月の上陸率が低いですね。
また、各社のSNSから上陸・周遊・欠航を調べている下記サイトでも、2023年2月のやまさ海運のツアーは上陸率70%でした。
https://wporep.com/gunkanjima/gumkanjima-202302/
船の揺れが激しい場合も
気象条件によりますが、沖に出ると船の揺れが激しい場合も。わたしが乗船した時は揺れはそんなに気にならなかったです。船酔いしやすい方は事前に酔い止め薬を飲んでおくと安心です。
軍艦島は無人島
軍艦島は外海にある無人島で、トイレも自動販売機もお店もありません。持病がある人や体力に自信がない方の上陸は不可。船内にトイレがありますが下船前は混み合うので、できれば長崎港ターミナルですませておきましょう。
やまさ海運の「軍艦島上陸・周遊クルーズ」体験
午後便のツアースケジュール(所要時間約2時間半):
- 13:00 長崎港出港
- 13:30 軍艦島着
- 14:30 軍艦島発
- 軍艦島周遊
- 15:30 長崎港着
長崎港ターミナルビル 出港まで
この日は午前中、大浦天主堂とグラバー園を周り、グラバー園からタクシーで長崎港ターミナルビルへ。長崎港ターミナルビルは、離島への渡航や観光遊覧船の切符売場がある長崎の海の玄関口。お食事をするところ(1箇所のみ)やお土産が買えるお店も(2箇所)あります。
出航が1時のツアーに参加。ターミナルビル1階の、やまさ海運の軍艦島クルーズ窓口が、出航の45分〜60分前に開きます。12時ごろ窓口で予約の確認と予めプリントして記入しておいた誓約書を提出し、料金の支払いをして乗船券を受け取ります。支払いは現金、クレジットカードと選べ、クレジットカード払いの窓口へ。ネットの早割予約で1人3400円でした。ただし、長崎市軍艦島上陸施設利用料金(1人340円)は現金で払う必要があります。
その後、ターミナルビルにあるお食事処、南蛮亭でランチ。このお店名物の五色うどん(ごしきうどん)を頂きました。おうどんの色は白一色、五色というのは、天かす、ねぎ、ナルト、昆布、ちくわと五つの色合いが入っている事が由来だそう、おうどん大好きなので美味しく頂きました。
12時40分にターミナルビルを出たところにある乗船場へ。すでに乗船が始まっていました。ランチのお店が混んでいて乗船場にくるのがちょっと遅かったよう。座りたい席を確保するために早めに乗船場へ行くのがおすすめです。
乗船したのは、旅客定員221人のマルべージャ3。船上から写真を撮りたいので、2階席へ。もう席はだいぶ埋まっていました。わたし達は遅れを取ってしまったので、進行方向右側の3列目。席からは写真があまり撮れず。でも!1階の後方デッキで自由に撮れることに気がつきました。行きは2階席、進行方向右側、1列目の席がベストです。
長崎港から軍艦島までのクルーズ
2月上旬、天候は曇り晴れ。2階席寒いですが人気です。わたしはロングの厚手のダウンコート、歩きやすいブーツを履きしっかり防寒。揺れもそれほどなく船酔いせず気持ち良いクルーズでした。傘類は持ち込めないので、お天気が良くない場合、レインコートや雨カッパがあると便利です。
いよいよ出航です!
長崎港から離れ、進行方向右側に三菱長崎造船所などを船の中から見れます。
また、世界遺産の1909年(明治42年)竣工のジャイアント・カンチレバークレーンは100年以上経った今でも当時と変わらない状態で動いています。(写真を撮れなかったので、画像お借りしました。)
出航してまもなく船内アナウンスが始まり、船上から見える景色、建物の説明、軍艦島に関する説明などが。そして、今日は外国からのお客様が大勢いらっしゃるので…とアナウンスがあり、日本語の後に英語で説明?と思ったら、中国語での説明がありました。夫の母国語が英語なのでちょっと残念でしたが、きっとよほど英語話者が多くないと日本語と英語にはならないのでしょうね。窓口で支払いの際、詳しく書かれた英語のパンフレットをもらえたので助かりました。
長崎市の西部と南部を結ぶ女神大橋をくぐり外海へ、船の揺れが少し大きくなる感じ、そして伊王島大橋をくぐり、軍艦島が見えてきて気分が盛り上がります、無事上陸できますように。
長崎港から40分ほどでのクルーズ、1時40分に到着しました。ドルフィン桟橋に接岸です、ドルフィン桟橋は岸壁に囲まれた島で唯一の船着場。無事上陸できました、よかった!!
窓口で料金を支払った際に、”軍艦島”と書かれた丸いシールをもらった人ともらわなかった人がいました(もらった人は洋服に貼り付けます)。わたしたちシールをもらったグループは先に下船でした。船から降りる時、怖いとか感じず、スムーズでしたが、ハイヒールやサンダルは禁止、歩きやすい靴で。
軍艦島上陸
見学する場所は、第1、第2、第3見学広場の3ヶ所、2つのグループに分かれてガイドさんが案内してくれます(日本語のみ)。これらの見学区域以外に立ち入ることはできません。軍艦島での滞在時間は40分程度。
あっ!とながさき www.at-nagasaki.jp
わたしたちのグループは、まず第3見学広場へ、そして第2、第1と周リました。
第3見学広場
ここでは、日本最古の鉄筋コンクリート造の歴史的に貴重な建築物、30号棟アパートを見ることができます。
向かって左手前は仕上工場。
軍艦島での出炭量が増えると人口も増え、狭い島で多くの人が生活するために1916年(大正5年)に日本最古の鉄筋コンクリート造(RC造)のアパートが建てられました。鉱員社宅として建てられた7階建て30号棟アパートは戸数約133戸、6畳に土間兼台所のついた間取り。地下には売店もありました。
6階建ての31号棟はアパートですが、台風の高波から島を守るための防波堤の役目も。なので、アパートの海側は廊下になっていてオーシャンビューのお部屋はないそう。この鉱員社宅には、地下に一般用の共同浴場があり、1階には郵便局や理髪店も設置されていました。
30号棟アパートのクローズアップ写真、崩壊が進んでいます。
軍艦島では学校や病院、商店、映画館やパチンコホールなど娯楽施設もあり、生活に必要なものは全て揃っていました(ないものは2つ、火葬場とお墓で、人が亡くなると小さな船で他の場所へ運んでいたそう)。食料は船で運ばれてきますが、波が荒く船が来れないときは、備蓄の缶詰などを食していました。
電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビが100%普及したのは軍艦島が日本国内で最速だったそうですよ。同時代の東京でも10%程度の普及率だったので、島民の生活は当時の最先端でした。そして最盛期には軍艦島の人口密度は、なんと当時の東京都の9倍にまで達していたそう。
軍艦島周辺の海は潮の流れが速く、そして海上では真水は貴重で、島の南端にある25メートルと併設されている幼児用プールには海水が使われていました。65号棟の屋上にもプールがありました。
第2見学広場
補強されていて見にくいですが、赤煉瓦の壁は1896年(明治29年)に完成した、第三竪坑捲座(たてこうまきざ)と呼ばれる建屋。その左が総合事務所。赤煉瓦の壁、向かって右側に第二竪坑浅橋跡が見えます。
ガイドさんのお話では、第二竪坑にあったエレベーターは、普通1秒で1メートル降下とかですが、1秒で8メートル降下し、600メートルも地下に下がり、8時間にも及び石炭を採掘、仕事が終わり戻ってくる鉱員は全身真っ黒。目と歯以外は黒色の写真をガイドさんが見せてくれました。仕事から戻ってきた鉱員は共同浴場で全身をまず海水で洗い、3回目に真水を使ったそう(真水は貴重だったため)。
海底炭鉱である軍艦島での採掘作業は、海面下1000メートル以上の地点までに。勾配はきつく気温30度、湿度95パーセントという悪条件で過酷、そしてガス爆発などいつも危険と隣り合わせでした。鉱内で交わされる挨拶「ご安全に」に、絶対に事故を起こさないという気持ちが込められていたそうです。
軍艦島内で目立っている白い灯台(正式名称は「肥前端島灯台」)は、閉山の翌年に、夜間の海上を照らすために設置されました。灯台の隣にあるのが、貯水槽です。
第1見学広場
遠く正面に端島小中学校(RC造)が見えます(望遠レンズで撮影)。1958年(昭和33年)に建設された7階建ての現存の建物は、1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階には図書館、講堂や音楽室などがありました。
向かって左側に島で住居戸数317と一番大きい集合住宅だった65号棟アパート(RC造)も見えます。65号(東棟)には端島保育園がありました。
ベルトコンベアーは支柱のみ残されています。精炭はこのベルトコンベアーによって貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。
高台に建っているのは住居戸数20の3号棟(RC造)。幹部社員用のアパートでお風呂付きです!
軍艦島周遊
1時40分に上陸して、船に戻ったのが2時20分、島に40分ほどの滞在でした。帰りの船は、2階の進行方向左側の1列目を確保したいので、ちょっと早めに入り口近くで待機。
でも、軍艦島周遊は、島を右回りと左回り両方してくれるので、どちら側の席でも1列目ならよく見れ、席に座ったまま軍艦島全体の写真も撮れます。そして行きと同じように1階の後方デッキでも自由に写真が撮れます。周遊中は船内アナウンス、日本語と中国語で軍艦島に関する説明がありました。
ここからは船上から撮った写真です。
手前が端島病院。
31号、30号棟アパート。灯台の後ろにある貯水槽の送水管が見えます。飲料水は当初海水を蒸留していましたが、後に給水船で運ばれるようになり、貯水槽に蓄えられるように。そして1957年(昭和32年)には対岸の三和町から6500メートルもの!海底送水管が敷かれて送水されるようになったそうです。
危険と隣り合わせの鉱員たちにとって島内にある端島神社は心の拠り所でした。神殿の下に拝殿もありましたが倒壊し、今は祠(ほこら)のみ残っているのが見えます。
軍艦島から長崎港へのクルーズ
軍艦島周遊を終え、船は長崎港へ向かいます。行きと同じルートで、行きに撮れなかった写真を撮るチャンスがあります。上陸を果たした安心感(笑)でリラックスのクルーズ、あっという間に長崎港へ帰港。
下船時に軍艦島上陸証明書をもらいました。
おわりに
ガイドさんが、先月ツアー中に皆の目の前で建物が崩れてきたと。日を追うごとに崩壊が進んでいるので、次に来た時は変わっているだろうから、沢山写真を撮って残しておいてくださいねと言っていました。軍艦島の歴史に触れ今を見ておくことができて本当に良かった、そしていつかまた今とは変わった姿になっているであろう軍艦島を訪れてみたいです。
長崎港から軍艦島へのクルーズ中も見どころ満載なので、軍艦島のことと併せて予習をしっかりしていくとさらに楽しめると思いました。
廃墟の風景、その場ではどれも同じように見えてしまいがち。軍艦島内の建物、どれを写真に撮りたいか予め考えておくとスムーズです。
わたしは今回行く時間がなかったのですが、長崎タウンにある軍艦島デジタルミュージアムも面白そう。当時の島の様子や、上陸ツアーでは見ることのできない立入禁止区域などを巨大スクリーンやプロジェクトマッピングで体感できるミュージアムです。
長崎を訪れるのであれば、ぜひ軍艦島に行っておくべき!と感じた、とても心に残る満足の軍艦島ツアーでした。
やまさ海運
https://www.gunkan-jima.net