先日、最愛の母の4回目の命日を迎えました。もう4年、まだ4年。
わたしたちは本当に仲良し母娘でした。
オーストラリアに住むわたしにとって、母の存在を感じる瞬間は日常の中にふと現れます。
母の命日の1週間ほど前から、毎晩12時頃になると、美しい鳥のさえずりが外から聞こえてきました。夜中に鳥が鳴くことの珍しさを感じながらも、毎晩30分ほどその声に耳を傾け、「もしかして、母が会いに来てくれているのかもしれない」と静かな確信を抱いていました。
そして、命日の前日を最後に、そのさえずりは聞こえなくなりました。まるで母がそっと帰っていったかのように思えてなりません。
母との別れから4年が過ぎましたが、会いたい、話をしたいという思いは今なお強く、時にその想いに押しつぶされそうになります。しかし、母と過ごした大切な時間や思い出とともに、今もわたしを見守ってくれていると感じる瞬間があり、そのたびに心が支えられています。
母のケアでお世話になった訪問看護師の方が「母が亡くなって10年経ちますが、まだ寂しいです、まだまだです」とおっしゃってました。この寂しさは、きっとずっと続いていくのだろうと感じています。
でも、私は元気にしています。
ありがとう、お母さん。
また会える日まで。